自己表現としての”写真”

最近、写真を撮ることに対するスタンスが少し変わったんです。

今までは、「どうすればいい写真が撮れるだろうか。」と考えていました。

そのため、マニュアルでシャッタースピードや絞りを考え、

作風も少しでも大胆に見せようと構図を試行錯誤をしていました。

それが最近は、「どうすれば自分らしい写真が撮れるだろうか。」という考え方に変わりました。

違いは「いい写真」か「自分らしい写真」か。

もちろん重なる部分もあると思うけど、マインド的には全く異なります。

ではどうして変わったのか。

今回はそんなきっかけとなった一人の写真家を通してお話ししたいと思います。

 


写真家、嵐田大志。


彼は家族写真や都市風景を中心に撮影しており、フィルム風の写真が特徴的な写真家です。

インスタグラムでも#デジタルでフィルムを再現したい というハッシュタグを作り、今では90万件もの投稿数となっています。

彼の著書に『カメラじゃなく、写真の話をしよう』という本があるんです。

このはたまたま本屋で見つけて、本のタイトルから惹かれてしまいました。

「なるほど、写真とカメラは似て非なるものだ。」と思ったんです。

写真が自己表現の結果であって、カメラはあくまで道具に過ぎないんだって。

本書では次のように例えられています。

 

撮影者に「カメラは何を使っていますか?」と訪ねた経験のある人もいるでしょう。

その行為は例えるならばプロの料理人に「どんな包丁を使っていますか?」と尋ねるようなものです。

良い包丁をかっただけで「美味しい料理」を作ることはできないと多くの人が理解できるのに、

こと写真においては、シャッターボタンさえ押せば位置ってしまう敷居の低さからか、

良いカメラがあれば「良い写真」を撮ることができると思われがちなのです。

ー嵐田大志ー

 

料理を食べる人にとって大事なのはその味であって、その包丁ではないのと同じで、

写真においても大事なのは写真であって、カメラではないということ。

おなざりになりがちな基本的な考え方を学ぶことができました。

 


心構えの変化


この考え方に触れてから、自分の写真に対する態度が軽やかになりました。

「カメラを使いこなさなきゃいけない…」という気持ちから、

「写真で自分を表現する」という気持ちに集中することができたんです。

なので自分がハッとした瞬間や、感情が動いた瞬間を大事にできるようになりました。

 

Photo by Yutaro Tanaka

 

この写真はこの本と出会った数日後に撮った写真です。

両国駅近くに走っている高速道路を下から撮った写真で、

なんだか、高速道路で働いている標識を覗き見している感覚だったんですよね。

自分の中でとてもお気に入りの写真になりました。

 

ただ「良いなぁ」と思っただけではなくて、その写真に感じたことや

物語が紐付けられている写真が、私はとても好きなんだなぁと気付かされました。

そういう写真は他の人が見てもきっと何かしら感じ取ってくれる余白があると思います。

そんな自分の方向性をビジュアル化してくれた一枚です。

 

 

 

嵐田さんのインスタグラムは日常を切り取っているようで本当に素敵なのでぜひ覗いてみてください。

 

 

 

 

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